世界/THE WORLD

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「世界」のカードは、大アルカナ22枚の最後に位置するカードです。最終カードにふさわしく「ものごとの完成」を意味します。占いの場で「世界」のカードが出ると、どんな相談内容であれ、ホッとするような安心感があります。「達成」「満足」という意味合いも含む「世界」のカードからは、「満ち足りた」印象を受けるからかもしれません。

カードの絵を見てみましょう。輪の中にバトンを持った女性が描かれ、ダンスしているかのようです。四隅にはテトラモルフが描かれています。テトラモルフについては「運命の輪」のコラムでも説明しましたが、人、ライオン、牛、ワシが、それぞれ聖書に登場する福音者「マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ」をあらわしていると解釈します。4つの象徴はまた、それぞれに4つの季節、方角、エレメント(火・地・風・水)であるとも言われています。これらの象徴を四隅に配した、輪の中の女性は、まさしく「世界」を手に入れているかのようにも見えます。




「世界」のカードは「宇宙」「真理」といった深遠な意味をも秘めていると言われています。ひとつ前のカードが「審判」です。「最後の審判」の光景が描かれていますが、再臨したであろうキリストの姿は描かれていません。天使がラッパを鳴らして死者が蘇っているシーンのみが描かれております。文脈的にその次の「世界」のカードには「再臨したキリスト」もしくは「最後の審判」の後にやってくる新たな「幸福の世界」が描かれていても不思議ではありません。しかし「世界」のカードにはキリストではなく女性が描かれています。何故でしょう。

確かな答えはありませんが、タロットカードというものの性質から、ひとつの推理を導き出してみましょう。ライダー版タロットは、多分にキリスト教的要素をベースに、キリスト教以前の異教的要素も適度に取り入れながら完成しているデッキであると考えられます。しかし、占いに使用する事を前提にしたオカルトグッズであることから、完全にキリスト教的な教義のグッズになってしまっては、本末転倒なわけで、重要な最終カード「世界」に恭しくキリスト様を描いてしまったのでは、おかしな事になってしまう、と制作者達は考えたかもしれませんし、考えなかったかもしれません(笑)。これは憶測です。同様の理由から聖母マリアを描くのも適当ではない、ということで「神秘的な女性」を描く事にしたのではないかと考えられるわけです。

女性の描かれ方を鋭くチェックしますと、乳房の垂れ具合から成熟した女性であることがわかります。キリストも聖母マリアも描きはしなかったものの、「神秘の女性像」を配することで「懐胎」の神秘を描こうとしたのではないかと推測します。それは神のなせる業であり「宇宙」「真理」に結びつく表現であると考えたかもしれません。




タロットカードの語源である「TARO」のアナグラム「ROTA」は車輪です。グルグル回るのです。「最後の審判」も「新しい世界」も、キリスト教の概念であり、実際に現世を生きる私たちには、去り行く今日と巡り来る明日があり、一日、一年、とぐるぐる年月が回るばかりです。完全なる「完結」はないのです。占いに相談したいような出来事も、やがて解決し、また新たな問題が発生し、そうやって終わりの無い物語を私たちは生きているのです。ですから占いの場では「世界」のカードは「そのことについてはひとまず完了」というお知らせのカードである、と受け止めるのが良いでしょう。

ライダー版タロットカードでは月桂樹の輪が描かれていますが、宗教画の歴史では、キリストや聖母マリアがアーモンド型の光輪を背景に描かれることが多かったと知られています。アーモンド型は「処女性」の象徴でもあることから、聖母マリアの背景にアーモンド型や楕円形の光輪が描かれる事は多くありました。また、アーモンドが象徴するのは「外側と本質」であるとも言われています。本質的なもの、すなわち「真理」は、外皮に覆われて「見えないもの」であるという考え方があり、それは「秘密の宝」であり、殻を破り、壁を越えなければ到達できないものである、云々…と、やや哲学的な意味を持ったモチーフなのですね。アーモンド。

宗教的な側面からアプローチすると「世界」のカードの解釈は果てしなくひろがっていきそうです。ライダー版が月桂樹の輪で表現したのは、よりわかりやすい世俗的な解釈が可能なようにという配慮なのかもしれません。月桂樹は勝利者に贈られる植物です。「世界」のカードは、「ものごとの完成」そして「勝利」「より良い未来」といった未来を確信させてくれる、最高の啓示を与えてくれるカードと言えるでしょう。