女教皇は、非常に神秘的なカードです。ヴェ-ルをまとった女性は、どこか冷たいような雰囲気を漂わせています。手にした書物が理智を感じさせ、その内容は決して明かされないだろう予感に満ちています。少しヴェ-ルに隠されたように見えるその書物には何が記されているのでしょうか。
ライダー版の女教皇の持つ書物には「TORA」と書かれています。これは、ユダヤの律法書の名称だそうですが、文字を並べ変えると「TARO」ともなり「タロット」を意味する言葉になります。さらに並べ変えると「ROTA」となりラテン語の「車輪、円盤」という意味をあらわすようになります。こんな言葉遊びのような要素も、女教皇のカードを意味深長で魅力的な存在にしているようです。
「車輪」は10番目のカードである「運命の輪」を想起させ、絶えずグルグル回っている運動性をも感じさせます。描かれた女教皇の姿は、凛としており、微動だにしなさそうですが、女教皇は「月」を象徴するカードでもあります。女教皇の素性については、月の女神イシスであるとか、アルテミスであるとか、いろいろ言われていますが、いずれにしても月と関連があります。月は、絶えず満ち欠けを繰り返し、常に同じ姿ではなく、天空を移動し続ける運動性を持っています。「月」とその「運動性」の意味がこのカードにこめられていることは間違いなさそうです。
さて、女教皇の背後には2本の柱が建っていて、彼女はその間に座っています。左の柱は黒く「B」と記されており、右の柱は白く「J」と記されています。これは、ソロモンの神殿の2本の柱「ヤキン(Jachin)」と「ボアズ(Boaz)」をあらわしています。ヤキン(右=東)は「幸運」、ボアズ(左=西)は「不運」を意味するという説もありますが、「これが正解」と言えるような確かな解釈はないようです。ただ、2本の柱が、あらゆる物事の対立、「光と影」、東洋で言うところの「陰と陽」のような「対立する存在」を象徴するのではないかという推測は、比較的容易にされるのではないでしょうか。
絶えまなく繰り返される光と影の運動、夜空の月が不思議な光で世界に物語るように、それはまさに「神秘」と呼ぶにふさわしい現象です。この「神秘」の前で、私達は「すべてを理解する」ことが不可能になります。もはや「魔術師」の「万能感」は消え、決して手の届かない「存在」を知ることになります。自分でははかりしれない「何か」の存在、それは、自分以外の他人の存在であることもあれば、自分でも知り得ていない自分自身の本質、深層心理であることもあるでしょう。
何ゆえに人は「知り得ぬ世界」を覗き見ようとするのでしょうか。女教皇の隠している書物を見たがるように、私達は時として「見た事のない世界」を見ようと欲します。「行った事のない地」に足を踏み入れたいと望みます。それは「神秘のヴェ-ルを剥ぐ」ような行為ですが、ヴェ-ルの下に隠されている真実にはなかなか手が届かないものです。理想郷を目指して道に迷えば、女教皇に対峙する「月」のカードの不安が襲います。月はルナ、そして「ルナシー、ルナティック」が「狂気」を意味することは、多くの人の知るところでしょう。よくよく見れば女教皇の背後には「深遠」を暗示させるかのように海(または湖)がひろがっています。
深層心理をテーマにした映画に「第7のヴェ-ル」というイギリス(1945)映画があります。物語の中で催眠療法を勧める精神科医が言うセリフがあります。『人間の意識は<踊るサロメ>に例えられる。七つのヴェ-ルの下に真実を隠している。羞恥心や恐怖のヴェ-ルの下に。友達の前ではヴェ-ルを3~4枚脱ぐことがある。恋人の前では5~6枚、だが決して7枚目は脱がない。人間の意識はプライバシーをかたくなに守ろうとする。サロメは七枚目のヴェ-ルを剥いだが普通はあり得ない。だから催眠療法を使う。催眠術を5分もかけると第7のヴェ-ルに達する。その奥に何が潜んでいるかわかる。治療に役立つ…以下略』
女教皇が象徴するのは、決して立ち入ることの出来ない領域、神の領域、神秘、そして人間関係におけるプライバシーの問題も含めた他者と自分の関係、深層心理の存在、顕在意識と無意識、光と影のように対立項をなすあらゆるものごと、…だと言えるでしょう。女教皇が私達の前で第7のヴェ-ルを脱ぐことはないのです。永遠に。
